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陝西省長青でハンターの家に生まれ、1989年より潘文石先生のジャイアントパンダ調査に協力。特に「嬌嬌」の第一子「虎子」の誕生から晩年までを見守る。現在なお長青自然保護区で監視員として働き、「本当の」ジャイアントパンダとその仲間たちの姿を伝え続ける。
◆潘文石先生と「虎子」に出会う◆長青自然保護区の監視員になる◆ハンターの家に生まれて◆動物たちの姿を撮り続けて
潘文石先生と「虎子」に出会う
1980年代後半、北京大学の潘文石先生が陝西省長青の林業現場で、大学院生と共に野生ジャイアントパンダの観測を開始したとき、最初に山岳ガイドとなったのが向定乾(シアン・ディンチエン)さんの父親だった。
1989年、父親が長兄の結婚の準備のため下山したのをきっかけに、向定乾さんも調査に協力し始める。当時19歳で、潘文石先生の学生たちとほぼ同世代だ。
呂植氏や張大軍氏らと同様、当時の記録写真や映像に頻繁に登場し、またドキュメンタリーレビューで取り上げた番組で、インタビュイーの一人として当時の様子を生き生きと証言する。
潘文石先生らの研究に最も貢献した雌パンダ「嬌嬌」(ジアオジアオ)に最初の麻酔銃を撃ったのも、当時名手として知られた向定乾さんの父親だ。
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